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ぎじょうたいぐ
 
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 疑城とは[[阿弥陀仏]]の[[浄土]]のうち、[[本願]]を疑う善人(第<ruby><rb>十九</rb><rp>(</rp><rt>じゅうく</rt><rp>)</rp></ruby>、二十願の疑心自力の行者)がとどまるところで、[[方便]]<ruby><rb>[[化土]]</rb><rp>(</rp><rt>けど</rt><rp>)</rp></ruby>の異名。
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 疑城とは[[阿弥陀仏]]の[[浄土]]のうち、[[本願]]を疑う善人(第<kana>十九(じゅうく)</kana>、二十願の疑心自力の行者)がとどまるところで、[[方便]]<kana>[[化土]](けど)</kana>の異名。
  
それを胎宮ともいうのは、せっかく浄土に生れても蓮華の中につつまれて、あたかも母の胎内にあるがごとく、五百年の間、[[仏]]に遇わず、法を聞かず、<ruby><rb>聖衆</rb><rp>(</rp><rt>しょうじゅ</rt><rp>)</rp></ruby>を見ることができないからである。→[[仮身土]](けしんど)、[[真実報土]](しんじつほうど)
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それを胎宮ともいうのは、せっかく浄土に生れても蓮華の中につつまれて、あたかも母の胎内にあるがごとく、五百年の間、[[仏]]に遇わず、法を聞かず、<kana>聖衆(しょうじゅ)</kana>を見ることができないからである。→[[仮身土]]、[[真実報土]]。
  
 
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[[Category:巻末註]]
 
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胎児は一番母親の近くにいながら、母親を観ることが出来ない。
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*胎児は一番母親の近くにいながら、母親を観ることが出来ない。疑城胎宮とは仏の国土におりながら仏を観ることが出来ない。そのような存在を疑城胎宮というのであろう。

2017年10月23日 (月) 12:55時点における版

ぎじょうたいぐ

 疑城とは阿弥陀仏浄土のうち、本願を疑う善人(第十九(じゅうく)、二十願の疑心自力の行者)がとどまるところで、方便化土(けど)の異名。

それを胎宮ともいうのは、せっかく浄土に生れても蓮華の中につつまれて、あたかも母の胎内にあるがごとく、五百年の間、に遇わず、法を聞かず、聖衆(しょうじゅ)を見ることができないからである。→仮身土真実報土

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

  • 胎児は一番母親の近くにいながら、母親を観ることが出来ない。疑城胎宮とは仏の国土におりながら仏を観ることが出来ない。そのような存在を疑城胎宮というのであろう。