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むふんべつち
 
むふんべつち
  
<kana>無分別心(むふんべつしん)</kana>、<kana>真智(しんち)</kana>、<kana>根本智(こんぽんち)</kana>ともいう。
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<kana>無分別心(むふんべつしん)</kana>、<kana>真智(しんち)</kana>、<kana>根本智(こんぽんち)</kana>ともいう。人間は概念によってモノ/コトを分別して言葉を使うのだが、そのような言葉によっては捉えることのできない智慧を無分別智という。
  
正しく真如を体会する智慧をいう。<br>
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[[真如]]は一切の相を離れており、分別することのできないものであるから、これによって分別と言う精神作用では真如の体性を会得することができない。対象を客体化して、知るものと知られるものとの対立を超越した認識や分析する分別を超えた絶対知を無分別智という。一切の情念の分別を離れた無相の真実の智慧によってのみ会得されるものである。
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:もし、人間が体会した智が、その智を起したものと異ならなくて、平等が平等に生起したものであるならば、これを無分別智と名づける。  〔摂大乗論 12〕
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:無分別心は、体と相応するものである。  〔大乗起信論〕
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2017年7月24日 (月) 16:22時点における版

むふんべつち

無分別心(むふんべつしん)真智(しんち)根本智(こんぽんち)ともいう。人間は概念によってモノ/コトを分別して言葉を使うのだが、そのような言葉によっては捉えることのできない智慧を無分別智という。

分別

オンライン版 仏教辞典より転送

無分別智

nirvikalpa-jñāna

 無分別心(むふんべつしん)とも言う。

 正しく真如を体会する智慧をいう。
 真如は一切のを離れており、分別することのできないものであるから、これによって分別と言う精神作用では真如体性会得することができない。一切の情念の分別を離れた無相の真実の智慧によってのみ会得されるものである。

 もし、人間が体会した智が、その智を起したものと異ならなくて、平等が平等に生起したものであるならば、これを無分別智と名づける。  〔摂大乗論 12 T31-364b〕
 無分別智は、一切の有為無為等の諸法の真如を縁じて通じて一境と為し、此の智と境と復た分別なし。〔梁訳摂大乗論釈11〕
 無分別心は、体と相応するものである。  〔大乗起信論 T32-579a〕

 jñāna(智)を prajñā (慧)で置き換えて無分別慧ともいう。分別しない智慧。なんらの認識対象もない心のありようをいう。
 ある行為を成立せしめる「主体」と「客体」とその両者の間に展開する「行為」あるいは行為に関係する「物」との3つを分けない無分別智を三輪清浄の無分別智という。〈唯識〉ではこの無分別の智慧を火にたとえて無分別智火といい、この火によって深層の阿頼耶識のなかにある汚れた種子が焼かれて、深層から心が浄化されると説く。これには加行無分別智と根本無分別智と後得無分別智との3種がある。

  1. 加行無分別智は加行位において起こす無分別智で、いまだ煩悩を有した有漏の智慧をいう。
  2. 根本無分別智とは通達位において起こす無分別智で、まさに真理(四諦・真如)を初めて見る、煩悩がない無漏の智慧をいう。
  3. 後得無分別智とは根本無分別智の後に得る無分別智で、真理をさとった後に再び世間にもどり世事のけがれに染まることなく人びとの救済のために努力する菩薩の智慧をいう。この後得無分別智は、十地からなる修習位において起こし、十地それぞれの地においてそれぞれに属する煩悩を断じて心を深層からますます清らかにしていく無分別智である。

「已に無分別智を得た者には無分別智が現在前する時、一切の諸義が皆な顕現せず」
虚妄分別の識が若し無分別智の火に焼かるる時、此の識の中にある真実なる円成実自性が顕現し、虚妄の遍計所執自性は顕現せず」
「若し時に、菩薩は所縁の境に於て無分別智が都て所得なくなりぬ。種種の戯論の相を取らざるが故に。爾る時、乃ち実に唯識の真の勝義性に住すと名づく」
「数、無分別智を修習するに由って本識中の二障の麁重を断ずるが故に、能く依他起上の遍計所執を転捨して及び能く依他起中の円成実性を転得す」

 無分別智、名増上慧。此復三種。一加行無分別智、謂、尋思慧。二根本無分別智、謂、正証慧。三後得無分別智、謂、起用慧。〔『摂論釈・世』8,T31-363c〕
 慧学有三種。加行無分別慧・根本無分別慧・後得無分別慧。〔『成論』9,T31-52a〕