「願力の白道」の版間の差分
提供: WikiArc
細 |
細 |
||
1行目: | 1行目: | ||
− | + | 『一念多念証文』の原文は、 | |
:かかるあさましきわれら、①願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、②無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、(a)弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して(b)大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。 | :かかるあさましきわれら、①願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、②無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、(a)弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して(b)大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。 | ||
− | + | で、あるが、ここでは①②の文は倒置法を使われておられるので、①と②を入れ替え、なお、(a)の文は、(b)へ挿入した方が判りやすいと聞かせて下さった。願力の白道とお示しであるから、もうすでに摂取の心光に摂め取られているのである。ゆえに、一分二分おおいなる力に引かれて歩みゆくのである。(a)(b)の文の入れ換えは、阿弥陀如来も願生者と同じく正覚の華に化生すると誤解されるからである。 | |
+ | 以下入れ替えた文.<br> | ||
かかるあさましきわれら、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、かならず安楽浄土へいたれば、かの正覚の華に化生して、弥陀如来とおなじく大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。 | かかるあさましきわれら、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、かならず安楽浄土へいたれば、かの正覚の華に化生して、弥陀如来とおなじく大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。 |
2013年8月31日 (土) 17:03時点における版
『一念多念証文』の原文は、
- かかるあさましきわれら、①願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、②無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、(a)弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して(b)大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。
で、あるが、ここでは①②の文は倒置法を使われておられるので、①と②を入れ替え、なお、(a)の文は、(b)へ挿入した方が判りやすいと聞かせて下さった。願力の白道とお示しであるから、もうすでに摂取の心光に摂め取られているのである。ゆえに、一分二分おおいなる力に引かれて歩みゆくのである。(a)(b)の文の入れ換えは、阿弥陀如来も願生者と同じく正覚の華に化生すると誤解されるからである。
以下入れ替えた文.
かかるあさましきわれら、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、かならず安楽浄土へいたれば、かの正覚の華に化生して、弥陀如来とおなじく大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。