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正嘉元歳丁巳8月18日の書写本があり、この本には「念じたてまつらば」が「称念したてまつらば」と、なっている。
 
正嘉元歳丁巳8月18日の書写本があり、この本には「念じたてまつらば」が「称念したてまつらば」と、なっている。
  
汝若不能念者 応称無量寿仏 如是 至心令声不絶 具足十念称南無阿弥陀仏。と、「至心」がいわれているが、阿弥陀如来が選択した行であるから、声に出すだけで救済になるという意か?
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汝若不能念者 応称無量寿仏 如是 至心令声不絶 具足十念称南無阿弥陀仏。と、「至心」がいわれているが、阿弥陀如来が選択した行であるから、声に出すだけで救済になるという意か? ([[唯文#P--716|唯文 P.716]])

2011年11月26日 (土) 23:50時点における版

ねんじ

 聖典所収本の底本は康元二年正月二十七日親鸞聖人真筆本。

康元2年3月14日(ユリウス暦1257年3月31日)正嘉に改元された。

正嘉元歳丁巳8月18日の書写本があり、この本には「念じたてまつらば」が「称念したてまつらば」と、なっている。

汝若不能念者 応称無量寿仏 如是 至心令声不絶 具足十念称南無阿弥陀仏。と、「至心」がいわれているが、阿弥陀如来が選択した行であるから、声に出すだけで救済になるという意か? (唯文 P.716)