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とあり、この善知識だのみは三河国からきたものといわれ、自分勝手な解釈であるといわれている。
 
とあり、この善知識だのみは三河国からきたものといわれ、自分勝手な解釈であるといわれている。
蓮師の時代にぱ浄土真宗の教義は全く地におち、対外的には西山、鎮西義の教義、さらに一遍上人の時宗との混同がみられ、対内的にも帖内帖外の「御文章」にしはしば出ているように、さまざまな異義が流布していたのである。
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蓮師の時代には浄土真宗の教義は全く地におち、対外的には西山、鎮西義の教義、さらに一遍上人の時宗との混同がみられ、対内的にも帖内帖外の「御文章」にしはしば出ているように、さまざまな異義が流布していたのである。
  
 
十劫安心というのも、現在でも、すでにたすかっていることの自覚が信心であるという領解を時々耳にすることあるが、この考え方と共通するもので、十劫の昔に阿弥陀仏が正覚成就したとき、その時、すでにたすかっているというのである。
 
十劫安心というのも、現在でも、すでにたすかっていることの自覚が信心であるという領解を時々耳にすることあるが、この考え方と共通するもので、十劫の昔に阿弥陀仏が正覚成就したとき、その時、すでにたすかっているというのである。
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四依の中にも、はじめに「人に依らずして法に依れ」とある。仏陀の自らの思いつきや暗示によるものでなく仏陀の存在の有無を論ずる必要なき、不生不滅の法を発見されたのである。
 
四依の中にも、はじめに「人に依らずして法に依れ」とある。仏陀の自らの思いつきや暗示によるものでなく仏陀の存在の有無を論ずる必要なき、不生不滅の法を発見されたのである。
  
浄土真宗も三経一致門の上でいわれるごとく『大経」は本願を説く経なるゆえに薬にたとえられ、『観経』は機の真実をあらわす経典であるから病気に病気にたとえ、『阿弥陀経』は機法合説証誠といわれ、六方恒沙の諸仏の証誠は医者にたとえられる。医者は病気の原因を明らかに診察して、この病気に対する薬を与え、それを服用することをすすめるのである。
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浄土真宗も三経一致門の上でいわれるごとく『大経」は本願を説く経なるゆえに薬にたとえられ、『観経』は機の真実をあらわす経典であるから病気にたとえ、『阿弥陀経』は機法合説証誠といわれ、六方恒沙の諸仏の証誠は医者にたとえられる。医者は病気の原因を明らかに診察して、この病気に対する薬を与え、それを服用することをすすめるのである。
  
それゆえ、「化身土巻」には『涅集経』を引用され、諸仏菩薩は善知識であるといわれている。
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それゆえ、「化身土巻」には『涅槃経』を引用され、諸仏菩薩は善知識であるといわれている。
 
善知識の分限と領域を誤ると善知識はカリスマ的存在になり、教祖化する。
 
善知識の分限と領域を誤ると善知識はカリスマ的存在になり、教祖化する。
 
それゆえ、その分限と領域を明らかにして、「善知識の能といふは一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしとひとをするばかりなり」とある。
 
それゆえ、その分限と領域を明らかにして、「善知識の能といふは一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしとひとをするばかりなり」とある。

2009年9月28日 (月) 17:19時点における版

善知識だのみの異義

五重の義

(11)

①それ、当流親鸞聖人の勧化のおもむき、近年諸国において種々不同なり。これおほきにあさましき次第なり。

②そのゆゑは、まづ当流には、他力の信心をもつて凡夫の往生をとせられたるところに、その信心のかたをばおしのけて沙汰せずして、そのすすむることばにいはく、「十劫正覚のはじめよりわれらが往生を弥陀如来の定めましましたまへることをわすれぬがすなはち信心のすがたなり」といへり。

③これさらに、弥陀に帰命して他力の信心をえたる分はなし。さればいかに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心のいはれをよくしらずは、極楽には往生すべからざるなり。

④またあるひとのことばにいはく、「たとひ弥陀に帰命すといふとも善知識なくはいたづらごとなり、このゆゑにわれらにおいては善知識ばかりをたのむべし」と[云々]。

⑤これもうつくしく当流の信心をえざる人なりときこえたり。そもそも善知識のといふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり。

⑥これによりて五重の義をたてたり。 一つには宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、五つには名号。この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。

⑦されば善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。宿善開発して善知識にあはずは、往生はかなふべからざるなり。しかれども帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おほきなるあやまりなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明六年五月二十日]



この「御文章」は、蓮師の吉崎在住のものである。次の十四通にもあるごとく、北陸一円をはじめ、世間に浄土真宗の正義と異なる異義が流行していたようである。 この異義の中で、この章では十劫安心と善知識だのみを出されている。十劫安心の異義は他に一の十三通、三の八通にもあり、帖外にも出されている。すべて吉崎在住時代のものである。

次の善知識だのみに関するものも帖外には吉崎時代のものと、山科時代のものと存する。 特に帖外三十一通には、

かへすがえすく当山へなにのこころえもなきひときたり、予に対面して手をあはせおがめること、もてのほかなげきおもふところなり。さらにもてたふときすがたもなし、ただ朝夕はいたづらにねふせるばかりにて不法懈怠にして不浄きはまりなく、しばらくさき身にてありけるをおがみぬること真実真実かたはらいたき風情なり。

とあり、蓮師は自らのカリスマ的存在を厳しく戒められている。次の五十二通によると、

然れば則ちこの上には知識帰命なんと云ふ事も更に以てあるべからず、ちかごろ三河国より手作りに云い出したることなり。

とあり、この善知識だのみは三河国からきたものといわれ、自分勝手な解釈であるといわれている。 蓮師の時代には浄土真宗の教義は全く地におち、対外的には西山、鎮西義の教義、さらに一遍上人の時宗との混同がみられ、対内的にも帖内帖外の「御文章」にしはしば出ているように、さまざまな異義が流布していたのである。

十劫安心というのも、現在でも、すでにたすかっていることの自覚が信心であるという領解を時々耳にすることあるが、この考え方と共通するもので、十劫の昔に阿弥陀仏が正覚成就したとき、その時、すでにたすかっているというのである。

ただ今までそれを知らなかっただけである。このような解釈は一遍上人の系統にあるようである。 一遍上入の法語にある「信不信を論ぜず」という言葉を誤解すると、全く十劫安心となる。

例えば、ペニシリンの注射をすると、肺炎が治るといわれるが、これを知っているからといってそのまま肺炎の病気が治るということはない。それゆえ、蓮師は、「されば十劫正覚のはじめよりわれらが往生をさだめたまへることをしりたりといふとも、われらが往生すべき信心のいはれをよくしらずば極楽には往生すべからざるなり」といわれるのである。

また善知識だのみは、すでに根本仏教の上でも否定されていることが明らかに知られる。多くの宗教のごとく仏教は教祖宗教ではない。カリスマ的存在を是認しないところにその特色がある。

四依の中にも、はじめに「人に依らずして法に依れ」とある。仏陀の自らの思いつきや暗示によるものでなく仏陀の存在の有無を論ずる必要なき、不生不滅の法を発見されたのである。

浄土真宗も三経一致門の上でいわれるごとく『大経」は本願を説く経なるゆえに薬にたとえられ、『観経』は機の真実をあらわす経典であるから病気にたとえ、『阿弥陀経』は機法合説証誠といわれ、六方恒沙の諸仏の証誠は医者にたとえられる。医者は病気の原因を明らかに診察して、この病気に対する薬を与え、それを服用することをすすめるのである。

それゆえ、「化身土巻」には『涅槃経』を引用され、諸仏菩薩は善知識であるといわれている。 善知識の分限と領域を誤ると善知識はカリスマ的存在になり、教祖化する。 それゆえ、その分限と領域を明らかにして、「善知識の能といふは一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしとひとをするばかりなり」とある。

博多の仙崖和上和上のところに石見太田の浄土真宗の住職(晃円師といわれる)が後生の一大事を聞きに行ったといわれる。その時、仙崖師は、

「貴様は南無阿弥陀仏のほかに何の不足があってここに来たか」

と、どなりつけて去ってしまった。これこそほんとうの善知識である。住職は仙崖和尚の法話をきいて後生の一大事を解決しようとしたのである。仙崖師が自らの法話と相撲をとらせず、南無阿弥陀仏と相撲をとらせたことが、ほんとうの善知識といわれるのである。

それゆえ、蓮師は「自力の心をすてて一心に弥陀をたのむ」とあり、また『歎異鈔』第二章にも「親鸞におきてはただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」とある。

次に、五重の義を出されている。五重の義を出され、「往生はかなふべからずとみえたり」の出処は先哲の上でも種々あげられているが、まず「本願成就文」、善導大師の『往生礼讃』前序、『教行信証』「行巻」両重因縁釈、覚如上人の『口伝紗』、『本願妙』、存覚上人の『浄土見聞集』等をあげられる。見聞集の文によると、

もしききえてよろこぶこころあらばこれ宿善のひとなり。善知識にあひて本願相応のことはりをきくとき、一念もうたがふごころのなきはこれすなはち摂取の心光行者の心中を照護してすてたまはざるゆへなり。
光明は智慧なり。この光明智相より信心を開発したまふゆへに信心は仏智なり。仏智よりすすめられたてまりてくちに名号はとなへらるるなり。(真聖全、列祖部三七八鶏)

とある文に宿善・善知識・光明・信心・名号と順位まで等しく出されている。 この五重は、成就文の「聞其名号信心歓喜」を開いたものといわれる。

ただ「名号」を信心の後に出されているのは、蓮師のあつかいに信心の体として出されている場合と、信後の称名を名号といわれる場合が存するからである。 今は信の後であるから称名を意味し、これによって信心正因称名報恩の浄土真宗の本義を明らかにされている。

(この問題は浄土真宗本願寺派では「安心論題」の一つとしてあげられているので、詳細はそれを参照していただきたい。)


やさしい安心論題の話

五重義相

蓮如上人当時のあやまった見解ーいわゆる「十劫安心」と「善知識だのみ」をただすために、上人は正しい信心獲得のすがたについて、その始終を「五重の義」としてお示しくださっています。 その五重の義の相状をうかがうのが、この「五重義相」という論題であります。

五重の義は『御文章』二帖目第十一通(真聖全三-四四一)に示されています。

{御文章中略}

右の文の中、①総じて種々の異解があることを歎かれ、②まず十劫安心を出し、③そのあやまりをただされる。次に④善知識だのみを出し、⑤以下そのあやまりをただされる。その中の⑥に五重の義を示されているのです。

したがって、五重の義には直接には善知識だのみをただすために示されたものですが、間接的には前の十劫安心に対する意もあるものとうかがわれます。

五重の「五」とは、

(一)宿善。宿世の善根。今生において本願の法にあい、信心喜ぶ身にならせていただくのは、この宿善のおかげであるといわれる。

(二)善知識。本願の法を説いてくださる方。まさしくは釈迦仏であるが、七高僧、宗祖聖人、歴代相承の宗主、更に僧俗を間わず本願の信を勧めてくださる人ば、すべて善知識であります。

(三)光明。私どもを照育し摂取してくださる阿弥陀如来の光明。

(四)信心。他力真実の信心。

(五)名号。如来の名号が到り届いて信心となるという意味で、信心の体(ものがら)は名号であると示されたものとも考えられる。しかし、今は信心のあとに出されているので、「真実信心必具名号」(真聖全ニー六八)ー真実信心は必ずあとに称名相続をともなうーという意味で、この場合の名号とは信後の称名を示されたものと見る方が適切でありましょう。

次に五重の「重」というのは、単に五つならべたというのではなく、ちょうど一つの波が次の渡をおこすように、前のものが後をおこし、後のものが前に重なってゆくことを意味します。

そのことは「往生論註』下巻の願偈大意から利行満足までの十章を「十重あり」(真聖全一-三一二)と示されているのと同様であります。

今この五重の次第によれば、「宿善」によって「善知識」にあい、「光明」のおんはたらきによって、「信心」獲得の身となる。その信心がまことであれぱ必ず「名号」が称名念仏として出てくる、という意味になります。ですから、五重の義というのは、正しい信心獲得のすがたについて、その始終をお示しくださったものとうかがわれるのであります。

「十劫安心」というのは、十劫の昔に「衆生往生せずぼわれ正覚とらじ」という誓願を成就して阿弥陀仏となられたのであるから、その時すでに私どもの往生は決定している。それを今まで知らなかっただけであるから、これを知って忘れないのが信心である、というように、信心を観念的に理解するものであります。

これに対して、蓮師はそのような理解では他力の信心を得たとはいえないと誠め、阿弥陀仏の救いの法は十劫正覚の始めにすでに成就されているけれども、私どもがその法をよくお聞かせいただいて、信心獲得しなけれぱ往生できない旨を述べられていまず。

つまり十劫安心は、五重の義として示されているような、獲信にいたるまでの過程(プ博セス)や、信後のあり方などを全く無視して、理屈だけの空虚なとらえ方をしているものであります。

これは蓮如上人当時にあった誤った見解である、といって済ますことはできないと思われます。私は何もしなくても如来さまの力で、死んだら極楽浄土、こんな気楽で結構な宗旨ばないと決めこんで、法座が勤まっていても知らん顔、聞法とか信心安心とかいうことは自分にば関係ないとばかり、平気で過ごしている人が現にたくさんいるのではないか。思いここに到れば、蓮師のお言葉は今の私どもに、痛いほどひびいてまいります。

「善知識だのみ」は、知識掃命ともいわれます。これは阿弥陀仏に帰命するといっても、現に法を説いてくださる善知識がなけれぱ何にもならないのだから、善知識だけをたのみにすればよいのだ、と善知識に帰命すべきことを主張するものであります。

たしかに、阿弥陀如来のおこころは、生きた人間を通して私どもに伝えられるのであって、私に直接するのは善知識であります。ですから、救いの法を説いてくださる善知識を尊重し敬慕するのは当然でありましょう。しかし、阿弥陀如来をそっちのけにして、善知識を帰命(信)の対象とするならぱ、それは本末頭倒といわねばなりません。

そこで、蓮師は善知識だのみの誤りを指摘せられ、善知識は「弥陀に帰命せよ」と勧める使いであって、あくまで帰命すべきは阿弥陀如来である旨を述べられ、更にれを明らかにするために、五重の義を立てられたのです。

これによって、宿善開発して善知識にあい、その善知識の勧めによって弥陀に帰命する信心を得て、往生決定の身となる旨を示され、「帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきことを、大きなる誤りなり」と誠められていまず。

思うに、善知識が真の正しい善知識であれば、このような善知識だのみは生じないでありましょうし、たとい一部にそういう誤った見解が生じても、善知識がその誤をただしてくださるでありましょう。

しかし、偽り邪な善知識の場合が問題であります。現実には「帰ずるところの弥陀をずてて」とまではいかないにしても、人々を説得し心服させる才能にたけた者が指導者となり、指導される人々はその人を阿弥陀仏と同等に生き仏として無条件に帰依尊崇するということになれぼ、どのような事態になるか。実に危険きわまりないものといわねばなりません。


「この五重の義成就せずば、往生はかなうべからずとみえたり」といわれるのは、宿善から名号(称名)までの五つが往生の因であるという意味ではありません。

宿善.善知識.光明の三つは、信心獲得に到る縁由、すなわちそれらがあってはじめて信心獲得の身にならせていただくのであるといわれるのであり、第五の名号ば信後の称名相続をもって信心のまことであることを示されるのでありまず。

したがって、信心一つが往生の正因であることに変わりはありません。 この五重の義を立てて示されるのは、善知識を尊重するあまり、誤って善知識を帰命(信)の対象とする見解をただされるためであり、また獲信に到る過程や獲信以後の相状といった実態を知らない十劫安心の誤りをただされる意味であります。

「みえたり」というのは、蓮師が勝手に五重の義を立てたのではなく、承けるところがある旨をあらわされまず。覚如上人の『口伝紗』「光明名号の因縁という事」(真聖全三ー三)、『執持紗』「光明名号の因縁ということあり」等(真聖全三ー四○)、『本願紗』「真実信心必具名号」等(真聖全三ー五六)、存覚師の『浄士見聞集』「この法を信ぜずばこれ無宿善のひとなり」等(真聖全三ー三七八)、更にその本は『本典』行巻の両重因縁釈(真聖全二ー三三)、『礼讃』前序の「光明名号摂化十方」等(真聖全二一九引用)、これらの文の意を承けていられるのです。

それらの文は、その示される項目の数や順序が必ずしも一様ではありません.それはそれぞれ顕わされる意味が異なるからです。宿善によって善知識にあって光明摂取の益を受けると示すときは「宿善・善知識・光明」の次第、光明の照育にょって宿善が成熟すると示すときば「光明・宿善」の次第。

光明によって獲信すると示すときは「光明・信心」の次第、獲信によって光明摂取の益を得ると示すときは「信心・光明」の次第。名号が届いて信心となると示すときは「名号・信心」の次第、真実信心は必ず称名相続すると示ずときは「信心・名号」の次第。

このように、顕わされる意味によって、次第順序も異なっています。

今ここに蓮師の示された五重の義の順序は、『浄土見聞集』の釈相を承けて、一から五までの五重として示されたものであろうと思われます。