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「歎異抄」の版間の差分

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(流罪記録)
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<div style="font-size:80%"> 本書には著者の名が記されていない。そのため諸説があるが、本文中にその名が見られる唯円房を著者とする説が有力である。
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<small> 本書には著者の名が記されていない。そのため諸説があるが、本文中にその名が見られる唯円房を著者とする説が有力である。
  
 
 親鸞聖人の在世の頃より、人々の間に、真実の信心と異なる誤った考えが生じていた。本書は、聖人から直接教えをうけた著者が、聖人がお亡くなりになった後、これらの誤った考えが生じたことを悲歎し、同じ念仏の道を歩む人の不審を除くために著したものである。この書に述べられているのは、異端を弾劾するといった冷やかな批判ではなく、真実の信心を見失っていく人々への深い悲しみである。それは、著者自身によって付せられた「歎異抄」という題号からも明らかである。
 
 親鸞聖人の在世の頃より、人々の間に、真実の信心と異なる誤った考えが生じていた。本書は、聖人から直接教えをうけた著者が、聖人がお亡くなりになった後、これらの誤った考えが生じたことを悲歎し、同じ念仏の道を歩む人の不審を除くために著したものである。この書に述べられているのは、異端を弾劾するといった冷やかな批判ではなく、真実の信心を見失っていく人々への深い悲しみである。それは、著者自身によって付せられた「歎異抄」という題号からも明らかである。
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 現存するものの中では、本願寺第8代宗主、蓮如上人の書写本がもっとも古く、これには承元の法難(承元元年・1207)のときの流罪記録の文と蓮如上人の奥書がある。
 
 現存するものの中では、本願寺第8代宗主、蓮如上人の書写本がもっとも古く、これには承元の法難(承元元年・1207)のときの流罪記録の文と蓮如上人の奥書がある。
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2009年9月7日 (月) 14:25時点における版